育児と向き合う父親の覚悟
子どもができると生活は一変する。
一般的に母親はそれまでの生活と全く変わってしまう、というか変えざるを得なくなる。
それに比べれば父親は変えなくてもいい?変えないようにしようとすればできる?というか、生活が変わらないように逃げようとすることもできる。
例えば、仕事はそのまま続けるし、趣味とか食事とか飲みごととか自分の時間とかも。
母親は嫌でも変わらざるを得ないけど、父親は育児のために自分の時間や生活を割く割かないは父親が決めている。
ぼくの場合は「育休を取る」っていう覚悟は、とことん育児に向き合うという意味。
仕事に逃げない。
付き合いや飲みごとや趣味に逃げない。
ぼくは多趣味でボランティア活動、音楽、カメラ、趣味や地域のイベント参加、等たくさんやっていた。
母親は当たり前にこれらを犠牲にする。
父親は選ぶことができる。
ぼくはとことん育児に参加することを選んだ。
これは無理してやるわけでなく、「最大限産後育児を楽しんでやろう!」と思ったから。
子ども好きだし。
男性の「子ども好き」って、可愛くて楽な子どものことしか言ってない場合が多いと聞く。
それって、なんだかもったいないと思う。
母親が羨ましいから同じ経験してやろう!ってのもある。
ぼくは欲張りなのだ。
父性も母性も両方欲しい。
ほんとは役割分けないとダメだろうけどねw
と、綺麗事いっても実際には
「逃げないけど逃げようと思えば逃げることができる」
のと
「逃げられない」
は全然違う。
やっぱり母親ってすごい。
きっと父親には想像できない想いで育児と向き合っている。
自分には楽しむ才能があると思う。
どんなことも、
「めんどくさいなあ」
「余計なことが増えて嫌だなあ」
とか思いそうなところをシュッと変換する。
中途半端にやるのが一番得るものがないので、
「やるならとことんやってやろう!」
「そして楽しんでやろう!極めてやろう!」
そのほうが得、そのほうが美味しい、そのほうが楽しい、と思っている。
才能って言ったけど、ぼくにしかないものってわけでもない。
やろうと思えばどんな父親にでもできること。
変化を恐れない。
変化を求めてくる事象に対して、むしろチャンスだと思って最大限変わろうとしてみる。
これは歳を取れば取るほど難しくなるであろうこと。
人は歳を取るとその分経験値が増して、それを自分の財産だと思いこむからね。
経験や習得したものは持ち続けて腐るより捨てるほうが楽しいと思うようにしてる。
死ぬまでそう思っていたい。